【特集】テキサス州ヒューストンのヒップホップカルチャー

(2013年に執筆した記事です)

Ⅰ.ヒューストン・ヒップホップの歴史

 ヒューストン・ヒップホップは1980年代後半に設立されたローカル・レーベルのRap-A-Lot Recordsがその基盤を作った。
 Rap-A-Lot Recordsは1986年にJames Prince(J-Princeと呼ばれることが多い)がヒューストンに設立した、ローカル・レーベルである。
 Rap-A-Lot Recordsはその後も安定した地位を維持し、現在も「ダーティ・サウス」を代表するローカル・レーベルの1つである。

1.Geto Boys

 Rap-A-Lot Recordsからデビューしたヒップホップ・グループGeto Boysは、1990年代前半に大きな成功を収めた。Geto Boysの原型であるGhetto Boysは、前述したJames Princeによって1986年に結成された。
 結成当時のメンバーではすぐにグループを去り、かわりにJohnny C、The Slim Jukebox、DJ Reddy Redの3人が加わり、Geto Boysとスペリングを変え、新たに活動を始めた。しかし、1988年にBushwick Bill、Scarface、Willie D.の3人が新たに加わる一方、Johnny C、The Slim Jukeboxの2人がグループから脱退し、その後1991年にDJ Reddy Redも脱退した。現在のメンバーはScarface、Willie D、Bushwick Billの3人である。(All Music.com “Geto Boys” Biography)
 1991年にGeto Boysが発売したアルバムWe Can't Be Stoppedはビルボード・アルバムチャートで最高24位を記録し、同アルバムからシングルカットされた “Mind Playing Tricks on Me”はビルボード・シングルチャートで最高23位を記録した。これによって彼らの音楽が全米に知れ渡ることとなった。
 Geto Boysの音楽の特徴は、ゲトー(黒人貧困街)での生活をリアルに描写した楽曲が多いことである。
 たとえば、“Mind Playing Tricks on Me ”について、ウェブサイトAll Music.comのJohn Bushは、以下のように述べる。 

“We Can't Be Stopped still went platinum in early 1992 - thanks to the Top Ten R&B single “Mind Playing Tricks on Me,” one of the most effective inner-city vignettes in hip-hop history.”

「We Can't Be Stoppedは、ビルボード・R&Bシングルチャートでトップ10に入った “Mind Playing Tricks on Me”のおかげで1992年の初頭まで売り上げが続きプラチナ・レコードとなった。“Mind Playing Tricks on Me” はヒップホップの歴史において、最も印象的なスラムを描いた作品の1つである。」(筆者訳)

 このように黒人として生きていくことをリアルに描いた彼らのスタイルは、「ダーティ・サウス」の枠を超え、彼らの後に登場した西海岸の人気ラッパー2pacを始めとする、全米のヒップホップ・アーティストに影響を与えた。

2.UGK

 Geto Boysに続いて、大きな成功を収めたのがUGK(Underground Kingz)である。
彼らは、正確にはヒューストン市ではなく、隣接する港町のポート・アーサー出身であるが、ヒューストンのヒップホップとして扱われることが多い。
 UGKとはBun BとPimp Cによるデュオである。
 彼らは1992年にローカル・レーベルのBig Tyme Recordzを介して、メジャー・レーベルのJiveレコードと契約した。メジャー契約直後に大ヒットが生まれるということはなかったが、1996年に発売したアルバムRidin' Dirtyが全米でヒットし、ビルボード・アルバムチャートで最高15位を記録した。
 その後も安定してヒットを飛ばし続けたが、Pimp Cが多重暴行罪で2002年から2005年まで刑務所に収監されてしまう。出所後の2007年にリリースしたアルバムUnderground Kingzはビルボード・アルバムチャートで最高1位を記録し、同アルバムからシングルカットされた “Int'l Players Anthem (I Choose You) ”はグラミー賞のBest Rap Performance by a Duo or Groupにノミネートされた。
 しかしながら、全米1位を記録し、流れにのっていた2007年の12月4日に薬物過剰摂取によりPimp Cは死亡する。Bun BはPimp Cが他界した後もソロとしての活動を行っており、現在もヒューストン・ヒップホップのパイオニアの1人として、多くのヒップホップ・アーティストやファンの支持を得ている。

3.DJ Screw

 DJ Screwは今でこそ、ヒューストンを代表するアーティストとして知名度を誇るが、生前は地元ヒューストンでの地道な活動が中心となっていた。彼は1980年代末期から、自身が生み出した “Chopped and Screwed” (チョップド・アンド・スクリュード)と呼ばれる、特徴的な音楽技法を用いて、ミックス・テープを作成していた。(ミックス・テープとは、通常、既存の楽曲にDJがスクラッチなどのテクニックを駆使して作るアルバムのことで、主にDJ自身のプロモーションや、そのアルバムで使用されたアーティストのプロモーションのために作られたものを指す。)
 ここでDJ Screwが生み出した“Chopped and Screwed” (チョップド・アンド・スクリュード)と呼ばれる音楽技法に触れる。日本語で “chop”とは「短く切り刻む」という意味で、“screw” は「乱す」という意味である。“Chopped and Screwed”とは既存の楽曲のピッチ(スピード)を落とし、スローにさせ、スクラッチを入れたり、特定のフレーズを繰り返すなどして、既存の楽曲をリミックス(編集)することである。 
 これらのリミックス方法が生まれたきっかけは、「コデイン」というドラッグに関係があるといわれている。ドラッグで酩酊している状態に合わせて、混沌とした音楽にリミックスされたものが、“Chopped and Screwed” であるとされる。
 1990年代半ば頃から、ヒューストンで活動するアーティストのスタジオ・アルバム(ミックス・ステープと違い、アーティストが公式にリリースするアルバムのこと。通常の店頭で売られているCD。)にも“Chopped and Screwed” が取り上げられるようになり、ヒューストンで活動していたE.S.G.のアルバムSailin’ Da South(1995)やDJ DMDのアルバムEleven(1996)にDJ Screwが編集した “Chopped and Screwed” バージョンの楽曲が収録された。
 DJ Screwの音楽スタイルがヒューストン・ヒップホップにいかに受容されたか、NewYork Timesの記事は以下のように説明している。
 
As DJ Screw's fame spread, Houston hip-hop was transformed: the city's rappers had to adapt to his syrupy style, and some joined forces with him to form the Screwed Up Click.(New York Times April 17, 2005)
 
「DJ Screwの名声が広がると、ヒューストン・ヒップホップは形を変えた。街のラッパーたちは彼のシロップがしたたるスタイル[“Chopped and Screwed”のこと] を受け入れ、彼と力を合わせてScrewed Up Click(スクリュード・アップ・クリック)を結成する者もいた。」(筆者訳)
 
 DJ Screwが中心となって結成した、Screwed Up Clickは20人以上のヒップホップ・アーティストを擁する集団となった。DJ Screwはコデインの過剰摂取により2000年に死亡したが、彼が生み出した “Chopped and Screwed”という手法は、その後も多くのDJによって継承されている。
 また、ヒューストン・ヒップホップに限らず「ダーティ・サウス」の他の都市のヒップホップでも、“Chopped and Screwed” の音楽技法が取り入れられた楽曲がリリースされており、現在では「ダーティ・サウス」を代表するスタイルとなった。
 彼の功績は、学術的にも評価されている。たとえばヒューストン大学(University of Houston)の図書館には、彼が遺したレコードやテープなどの資料が所蔵されている。図書館のホームページをみると、

 “These materials document how DJ Screw developed the production technique known as “chopped and screwed,” which is closely associated with Houston hip hop.” 

「これらの資料は、どのようにして彼が『チョップド・アンド・スクリュード』と呼ばれるヒューストン・ヒップホップと密接に関連する製作テクニックを発展させたかを示している」(筆者訳)

と書かれている。他にもこのコレクションに関する詳しい説明がホームページに掲載されており、DJ Screw の功績は、図書館に所蔵するに値するものと認めていることがわかる。(University of Houston Libraries “DJ Screw Photographs and Memorabilia” )
 また、彼が生み出した “Chopped and Screwed” は、アメリカの音楽業界だけではなく、映画業界にも影響をもたらした。2013年3月に公開され、初週末3日間で500万ドルを売り上げ大ヒットした映画Spring Breakersの作品中で彼が生み出した “Chopped and Screwed”の技法が映像に用いられた。冒頭シーンは “Chopped and Screwed”の音楽ように映像がスローモーションに編集されており、バックに流れる音楽は “Chopped and Screwed” の音楽のように混沌としている。これに関して、この映画の監督のハーモニー・コリンは、ロサンゼルス・タイムズで以下のように述べている。

“It’ll be the first chopped and screwed movie…The film has been sizzurped !…The ghost of DJ Screw came back and edited the film. It’s going to be an interesting experiment.”

「この作品が、最初の『チョップド・アンド・スクリュード』ムービーとなるだろう。…この映画はシロップ漬けだ(後述「咳止めシロップについて」参照)。…DJ Screwの幽霊がよみがえってこの映画を編集した。それはおもしろい新手法となるだろう。」(筆者訳)
 
 本項目では、主なアーティストとその楽曲を紹介しつつヒューストン・ヒップホップの歴史を概説した。続いて、現代のヒューストン・ヒップホップの楽曲やミュージック・ビデオの特徴について検討していきたい。
 

Ⅱ.ヒューストン・ヒップホップにみられる4つの特徴

 前述したように、「ダーティ・サウス」には、いくつかの共通点があり、南部ならではの個性がある。さらに、4つの拠点がそれぞれのスタイルを確立したことも前述したとおりである。
 現在のヒューストン・ヒップホップには、こうした「ダーティ・サウス」全体に共通する特徴に加えてヒューストンならではの特徴がある。筆者は多くの楽曲とミュージック・ビデオを検証した結果、ヒューストン・ヒップホップには4つの特徴があり、その全て、または一部が歌詞やミュージック・ビデオの映像に見出せることを発見した。そこで、以下に4つの特徴とはどんなものか説明し、筆者の考えるヒューストン・ヒップホップの定義を記したい。
 ヒューストン・ヒップホップにみられる4つの特徴とは、① DJ Screwが生み出したミュージック・スタイル “Chopped and Screwed” の技法が用いられているか、歌詞の中で言及されていること。
 ②ヒューストン独自の方法(以下、「ヒューストン式」と記述)で派手に塗装やカスタマイズされたキャデラックなどのアメリカ車がミュージック・ビデオに登場し、また歌詞にもカスタム・パーツなどの専門用語が登場し、強調されていること。
 ③コデインという麻薬の一種を含有する咳止めシロップを酒や炭酸飲料と混ぜて作る飲み物がミュージック・ビデオの映像や歌詞の中に登場すること、そして
 ④コミュニティ意識(ヒューストン出身のヒップホップ・アーティストのヒューストン・ヒップホップ・カルチャーに対する愛着と帰属意識)が強調されていることの4つである。

1. “Chopped and Screwed” について

本章の項目Ⅰで紹介したDJ Screwが生み出した音楽技法である。

2. ヒューストン式のカスタム・カーについて

 「ダーティ・サウス」の共通の特徴としてミュージック・ビデオに「自動車」が登場することが多いと述べた。これに関してはヒューストン・ヒップホップも同様であるが、ヒューストン・ヒップホップでは、「自動車」に関する特徴も、ヒューストン独自である。
 ヒューストン・ヒップホップの楽曲やミュージック・ビデオの中では、ゼネラルモーターズ社の高級車であるキャデラックが登場することが非常に多い。他の地域ではイギリスのベントレーなどの高級外車が登場することが多いが、ヒューストン・ヒップホップの中ではキャデラックが特に好まれる。またそれらのキャデラックには80年代に製造されたヴィンテージものも多く、必ずといっていいほどカスタマイズされている。下の写真が代表的な「ヒューストン式」のカスタマイズ例である。

SLABS#17
写真1


SLABS#4
写真2

 写真1、2のようなキャデラック(愛称で “Caddy” と呼ばれる)は、アメリカのキャンディのように色鮮やかに塗装し、(これらは “Candy Paint”と呼ばれる。)ホイルはスポーク(車輪の軸と輪とを放射状につなぐ細い棒)が飛び出たものを使用する。
 このスポークが飛び出たホイルは、もともとは1984年式のキャデラック・エルドラド専用のアップグレード・パーツであった。製造されていた期間がとても短く、市場に出た数も少なかったが、現在でも人気があり、それらを模して作ったホイルが多く使用され、“84’s” や “4’s”といった愛称で呼ばれる。
 タイヤは黄色いラインの入ったVogue Tires社のもの( “Vogues”と呼ばれる)を使用し、車の最後部にも、同じようにカスタマイズされた予備のタイヤを、装飾として付ける(5つ目のタイヤという意味で、“Fifth Wheel”と呼ばれる)。
 写真には写っていないが、ハンドルは木目調にカスタマイズするのが一般的である( “Wood Grain Wheel” や “Wood”と呼ばれる)。
 また、写真2のように車のトランク部分にオーディオ・システムを搭載し、ネオン管で文字をかたどったネオン・サイン(“Neon Lights” と呼ばれる)の装飾を施す。トランク部分の装飾をみせるために、トランクの開閉をスイッチで自動操作できる仕組みになっている。オーディオ・システムで音楽を流し、トランク内部の装飾をみせるためにトランクを開けたまま走行する様子(Pop Trunkと呼ばれる)が、ヒューストン・ヒップホップのミュージック・ビデオではよくみられる。
 以上が、「ヒューストン式」にカスタマイズされた自動車の特徴である。こうした方法で改造された「ヒューストン式」の自動車が何台も連なって走行する様子(Swangと呼ばれる)も非常によくミュージック・ビデオに登場する。
 ヒューストン・ヒップホップの歌詞には“Caddy” ,”Candy Paint”, “Candy” ,“84’s”, “4’s”, “Vogues”, “Fifth Wheel”, “Wood Grain Wheel”, “Wood”, “Neon Lights”, “Pop Trunk”, “Swang” といった「ヒューストン式」に改造した自動車に関する言葉が数多く登場する。

3.咳止めシロップについて

アメリカで販売されている咳止めシロップは、コデインというアヘンから精製される麻薬成分の一種を含有していることがある。
 コデインは体内に取り入れられると中枢神経に作用し、咳止めとしての効果がある。コデインを含む咳止めシロップは、簡単に手に入ることや、所持していても法律に触れることがないので、ヒューストンの多くのヒップホップ・アーティストがドラッグとして使用している。通常は酒や、炭酸飲料などと混ぜて飲用する。
 一般に、アメリカで販売されている咳止めシロップは紫色をしているために、それらの飲料は “Purple Syrup” “Purple Stuff” “Purple Drank” という名前で呼ばれる。こうした表現はヒューストン・ヒップホップの歌詞の中によく登場する。またミュージック・ビデオでは咳止めシロップを含む飲料を飲むしぐさをしたり、カップに入った紫色の飲み物が登場するなど、ヒューストン・ヒップホップの文化に強く根付いている。

4.コミュニティ意識の強さについて

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写真3
Daniel Benavides from Austin, TX, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons 

  ヒューストン・ヒップホップのミュージック・ビデオの中では、アーティストが手の小指と人差し指を立ててHoustonの頭文字の “H” を示すハンドサイン(写真3)をしたり、メジャーリーグ・ベースボールのヒューストン・アストロズのキャップを着用している様子が、よくみられる。楽曲の中ではヒューストンの愛称である “H-Town”という言葉やヒューストン独自の方言がよく聞かれる。
 また、歌詞の中で、ヒューストン・ヒップホップに大きな功績を遺したDJ Screwが中心となって結成した、Screwed Up Clickのメンバーや、すでに亡くなってしまったヒューストン出身のヒップホップ・アーティストに言及したり、ゲストとして呼ばれるラッパーたちが、多くの場合、全員ヒューストン出身であるなどの特徴がみられる。 
 こうしたミュージック・ビデオに映るアーティストたちはヒューストン・ヒップホップのカルチャーに疎い外来者に対して「ヒューストン育ち」としてプライドをもって臨む。外来者に対して排他的な態度を示す歌詞も多い。(第Ⅲ章で扱う “They Don’t Know” “I’m From Texas” “Bow Down / I Been On”でもそのような表現がみられる。)その一方で、ヒューストン・ヒップホップには、人種によって壁を造ったり、敵対的になったりするとは限らないという特徴がある。
 写真3のアーティストのPaull Wallは白人であり、またラテン系のアーティストも数多くいるのであり、彼らに対して黒人ではないからという理由で排他的になるということは決してない。
 ミュージック・ビデオの映像や歌詞からは、ヒューストン・ヒップホップのカルチャーを愛する者はみな仲間なのだという意識を感じ取ることができる。
 こうしたことを総合すると、ヒューストン・ヒップホップのアーティストはアイデンティティを人種グループではなくヒューストンの町そのものと、その地域文化に求めているように感じられる。また、彼らは連帯意識が強く、ヒップホップを軸に一種の共同体(コミュニティ)を形成している。そこで、筆者はこのことを、「コミュニティ意識の強さ」と表現したい。
 以上、本稿ではヒューストン・ヒップホップの歴史をふりかえり、かつ4つの特徴を挙げてヒューストン・ヒップホップを定義づけした。